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大谷 コーチ

Toshiya OTANI





担当 男子高学年チーム
出身地 神奈川県
得意なポジション FW, MF(主に攻めのポジション)
利き足
最多リフティング回数 数百回
JYSOコーチ暦 4年目
サッカー経歴 高校時代、読売クラブ(現東京ヴェルディ)に入部。そこのユースチームで3年間、そしてサテライトで2年間やりました。ユースチームでは3年生の時に副キャプテンとして出場した全日本クラブ選手権優勝、国体神奈川選抜、東日本選抜としてクラブ東西対抗出場、と本当にサッカー漬けでした。

当時の読売クラブはアマの日本リーグにありながら実質的にはプロチームで、自由闊達の中にもプロ意識が徹底していました。ラモス、戸塚、与那城選手といったスター選手を抱えるトップチームから下部組織の小学生チームまで、一貫してプロとしての競争意識と自立的な練習を求められる環境でした。

上にはラモスをはじめとする当時の日本代表選手が多数おり、下にはその後に日本代表となる北沢、菊原、中村(忠)、藤吉選手がいて、刺激的かつ学ぶものの多い充実した環境でした。個人としては最終的にはプロになれませんでしたが、その刺激的な環境で得たものは大切な財産として自分の中に残っていて、社会人となった今でも役立っています。

その後は大学卒業と同時に三菱商事に入社してから7年間、会社のクラブで都リーグを中心に活動していました。2年間はキャプテンとして海外遠征も2度経験。社会人となってからも結構サッカー三昧の毎日でした。

JYSOには4年前から長男の入会をきっかけに参加。コーチは一昨年からやらせて頂いてます。

サッカーを始めたきっかけ、子供の頃の思い出など サッカーを本格的にはじめたのは中学に入学した時に滞在していた西ドイツでした。それ以前にも米国滞在時にAYSOで多少やっていましたが、ドイツに滞在した中学3年間は学校と地元のクラブを掛け持ちでサッカー三昧の幸せな毎日でした。当時の西ドイツには唯一の日本人プロ選手である奥寺選手がおり、良く試合を見に行きました。

サッカーにまつわる何でも自慢話/失敗談 社会人になったから参加したタイ遠征で試合中に脳震盪を起こして即入院。翌日に強引の退院して次の遠征先である香港で試合に出場して点を取りました。その後ドクターストップがかかっていたことを知った監督に大変怒られました。

好きな選手 サッカーをはじめたころから同じ左利きのマラドーナが憧れでした。最近の選手ではレアルマドリードのラウルが好きですね。好きなサッカーはむやみに蹴るのではなくボールを徹底して繋いで攻めるサッカーです。

JYSOのコーチをしていて楽しいと感じるときは? 子供たちが毎シーズン楽しみに戻ってきて少しずつ上達しているのを見た時。

選手へのメッセージ サッカーは「チャレンジ」、「ミス」、「リカバリー」の連続するスポーツです。世界の一流選手でもパス成功率はせいぜい75%。つまり4回に1回はミスすることになります。素人は2回に1回くらいはミスします。肝心なのは「ミス」をしないことではなく、「チャレンジ」をすること。そしてその結果として「ミス」をしたときにはその後の「リカバリー」をどうするかが大事なポイントです。そこで一番簡単そうに見えて難しいことが「取られたら取り返す」習慣です。よくボールを取られて天を仰いでいる選手がいますが、そんな暇があったらボールを取り返すべく次の動作(=取り返しに行く)に移るべきです。見方が必死に繋いでくれたボールを奪われた選手は懸命に取り返しに行く責任があります。取られたら取り返すといういい習慣を体に染み込ませることだけで格段に個人とチームは強くなります。

別の言い方をすればサッカーは「責任」と「信頼」のスポーツとも言えます。味方から貰ったボールを「責任」を持って大切に次のプレーに繋いで行く。取られたら「責任」を持って取り返しに行く。味方を「信頼」してボールを渡して行くことも大事です。良く見る光景ですが、チームで一番上手な選手はパスをしたがらない、ということが特に子供のころには良くあります。サッカーは11人でやるスポーツで一人ではできません。時には味方を信じてパスをすることによってプレーの選択肢も増え、結局は個人技のドリブルも生きてきます。

私は海外生活が20年以上になりますが、サッカーを長く続けることによって世界中で数え切れないほどの多くの友人に出会うことができました。「サッカーは世界の言葉。どんなレベルでもいいので絶対サッカーは続けろよ」と尊敬する昔のコーチが言っていましたが、最近ようやくその意味がわかってきたような気がします。JYSOの皆さんにもサッカーの楽しさを少しでも味わってもらって、ここで覚えたサッカーをどこへ行っても末永く続けてほしいと願っています。